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インタビューシリーズ: 駒場の人たち


第1回(2008年2月27日)

駒場のまちの不動産屋

有限会社ネオスカイ代表取締役 丸山眞石さん

駒場の地域社会と共にこの場所で50年を歩んできた不動産屋さん「ネオスカイ」。
2代目の丸山眞石さんに、50年前の駒場小学校時代の 思い出から将来の駒場の夢まで、幅広いお話を個性あふれる事務所の中でうかがいました。


―― この事務所には水晶がたくさんあってまるで水晶宮のようですね。

気が付きましたか。ここは風水を考えてレイアウトをしています。中国では不動産選びに風水を考えるものです。 徳川家康は江戸の街を風水に則って作りました。 水晶はそこで重要な役割を果たすんですよ。水晶占いまではしませんけどいろいろお話をします。

―― それは商売ではないんですね?

ハハハ、そんなんでお金はいただけませんよ。でも不動産屋というのは住まいのコンサルタントですからね。 そこで風水の立場からのアドバイスもします。 ところで社名の由来をお話しましょう。NEOSKYと書き「新しい空を見つけよう。あなたの生活も変え、 新しいウインドウから新しい空を発見して運をつかもう!」という意味を持たせているのです。

―― なるほど。社名にもアドバイスが含まれているのですか。ところで、今日うかがいたいのは駒場の過去と 未来への希望なんです。丸山さんは駒場小学校、目黒一中と駒場で少年時代を過ごされたのですね?

そうです。ここから駒場小学校に通いました。駒場小学校まで東大と井の頭線との間の細い道を歩いたのです。 線路沿いは斜面になっていて、今から思えば危ないんだけど、そこを滑ったりもしたものです。 現在の数理研の建物になっているところと、図書館の方の林との間には塀がありました。 今も林に残っているトイレのところには昔の東大前の駅から寮への近道になる狭い門があったんです。 その東大の塀に沿って狭い道と野原がずっと続いていました。そこに生えているスカンポをくわえたり、 つくしを採ったりもしたものです。でもいまじゃすっかり変わってしまいましたね。そのころのなごりをとどめているのは、 駒場東大前のホーム前の道沿いにある柳の木ぐらいかな。 駒場小学校から帰るときに、今も駒場キャンパス内を流れている小川を渡るのです。 橋を渡るのではなく、木の枝にぶらさがって川を越えるのですよ。 いかにうまく長い距離を飛べるかで子どもの世界での評価がされたわけでね。川に落ちる子もいましたよ。

―― 50年も前のことですから現在では想像もできないような世界ですね。当時はどんな遊びをしていましたか?

現在の正門の左側と梅園の横の2箇所にため池がありました。小さな金魚がいて、釣りをするのですが、見つかるとしかられたものです。 一ニ郎池は深池と呼んでいてザリガニ採りをしました。底なし沼のようになっていて、私も一度そこには まって死にそうになったことがあるくらいです。炊事門のところには門番さんがいたのですが、 その目を盗んで中に入り、林の中に住みかを作ったりしました。ビー玉、メンコ、ベーゴマなんかを そこに隠していたんです。 駒場小学校の横のグランドは今のように整備されていたわけではなく、草原で駒場小学校の飛行機大会 とかの行事でも使ってましたね。そこでは草野球が4箇所でできたので、休みの朝は5時ごろから陣取り 合戦をしたもんです。池ノ上や下北沢の不良連中とのケンカもありました。相手は自転車のチェーンなんか を振り回したりするので怖かったですよ。でも東大のグランドで走り、鉄棒も使わせてもらったので体が鍛えられました。

―― 駒場小学校はどうでしたか?

当時、私のクラスは57名、学年で4クラスありました。校舎が足りなくて2部授業だったかな。 遅いクラスは昼からだったりして、眠くなって授業は昼寝の時間になったりもしましたね。

―― それから目黒一中ですね?

そう。そのころは野球部に入っていたのでもてたんですよ。

―― いやいやそういう話じゃなくて、建物はどうだったかとか。

それが元軍隊が兵舎としていたもなので、板がぎしぎしと鳴る廊下や階段でした。夕方は薄暗くて怖かったですよ。 それとトイレが臭くてガマンできないので、隠れて外でやったものです。現在の打ちっぱなしの校舎ができたころは卒業で、 うるさい工事の中で勉強したもんだから、先生の話はまともに聞こえませんでしたね。

―― それからスペインでの生活を含め、世界中で活躍されたと伺ってますが、そんな話は駒場と関係ないわけなので、 また別の機会にします。 その後にお父さんの跡をついで不動産の仕事を始められたのですね?

駒場で初めて親爺が不動産屋を開いたわけで、私が中学生の頃は友達に見られるのが恥ずかしく 、暗くなってから電柱に張り紙をつけて 回ったもんです。一中の野球部に入っていたんで体がくたくたになった上、夕食前なのでフラフラ しながら貼りにいくこともありました。
その頃からの地元の不動産屋という信用を大切しなくてはなりません。大家さんの財産をまかせていただいているという責任感でやっています。 地域に根ざしているので、絶対にごまかせないですよね。それに自分の敷地に事務所を置いているので、 低コストですからその分しっかりとしたサービスができます。 学生さんには、見かねて割引をしてあげたりするので、人助けでやっているのでないかとからかわれる位、お客さんの面倒を見ているのですよ。

―― なるほどなるほど。不動産屋は地域密着型に限るということ納得しました。 で、丸山さんは駒場の将来をどう見ていますか?

渋谷の西はオフィス街になりますよ。IT関係の会社が多いのではないかな。そこで仕事をする人たちが 駒場に住むようになるといい。それから東大の卒業生も駒場に帰ってきて欲しいな。そのためには、 駒場の魅力を増していくことが大事ですよ。ここは緑が多く都心の雑踏から隔離された村なんだし。 だから僕は一生懸命学生さんにサービスしているんですよ。

―― よく分かりました。その思いが伝わるといいですね。ありがとうございました。