朝陽バラ会

Chouyou Rose Society

バラを召しませ ランララン(1)

(平成8年5月のNHKラジオでのお話から)

1.バラの魅力とバラとの出会い

今年は寒さが遅くまで続いて、バラの花もいつもの年よりはずっと遅れて今ようやく 私の庭では、長春といいますか、 庚申バラともいいますが、英語ではオールドブラッシュというものですが、中国原産だそうですが、ようやく満開で、中に は散り始めているものもあります。ピンクローズ色の華やかな花が散ってくる様はなんとも言えない美しさというか、私に とっては郷愁のようなものを感じます。

どんな種類のバラが好きかとよく聞かれますがバラは花ばかりでなく、葉も新芽もとげすらも非常に美しいと、私は思って います。新しい葉が出たての芽のところについているとげが透き通るような美しさでこれも大変魅力で口づけしたいよう な感じがします。

やがて蕾がつぶらつぶらとあづき粒から大豆の大きさになって花を咲かせる、生命力がそこに充実してきて、そういうふう にバラは成長に変化があるし、それを非常にバラの花の場合は楽しめる。そういった花は他にはちょっと少ないかもしれません。 花が開いてくると、桃色から濃い赤(緋色)に、クリーム色から黄色、オレンジ色から濃い赤、ない色はないといってよくて、 特に純白のバラの花が、特に崇高な感じがします。 春から秋まで咲くということもバラの魅力です。

この美しさが誰にでも分かるんですね。だから、バラの花を見ると小さいお子さん方も、「バラだ、バラだ」といって手を 上げて騒ぐわけです。我々の年代はもちろんですが、中年の方も年取られた方も、バラを見ると近寄って、香りをかぎます。 香りをかぐということも、バラの魅力のひとつですね。バラには非常に香りが高いというばかりでなく、実は複雑なバラの 香りがあるのです。 これを分析してみると、今まで分からなかった、いろいろな香料分析のバラエティ(種類)が非常に多いということがわか ってきたわけです。

私は1913年(大正2年)に今でいう東京の小石川の家で生まれたんですけれど、小さな貸家の家だったけれども、そこ にいろんな花がたくさん植わっていて、バラがその中にポツンとありまして、これはいろんな草花はきれいだなぁという感 じはありましたが、バラはちょっと格が違うというか、それが咲くと何かこう庭中カーッとした感じになりまして、家中が バラが咲いたって言うことをお互いに言ったものです。

これは名前が”日光”というバラだったので、日本のバラだとばかり思いっていたのですが、のちに父からこれは外国のバ ラなんだと聞きました。これはもちろん濃い赤の深紅のバラですけど、香りもなかなかすばらしくて、家中に香りが入り込 むといった感じでした。子ども心にも非常に感激したものです。

そんな影響があってですか、中学、昔の旧制中学ですが、勝手に学校の中に私は花壇を作って当時珍しかったチューリップ の球根を植えたんです。それが咲いてみんな大騒ぎをしましたが、バラってものはこんなものじゃない、もっと香りもある し、すごいんだということを仲間に言っていました。

旧制中学の4年の時に、身体をこわして中学を休みがちだったんで、身体を直す意味もあって園芸学校(現在の都立園芸高校) に入りました。花を作るということは優雅な事の様に思っていたのですが、入ってみるとかなり労働が激しくて東京で 育った私にはかなり激しい労働だったと思います。しかし地方の農学校を出た方は平気でやっていたので、負けずにやった わけです。

園芸学校で 試験になりますと、フランスの”スーブニ−ル・アレクサンドルベレネ”などの長ったらしい名前が試験に出 るというので、暗記したことがあって、友達と「”平和”とか”友愛”とか、そういった日本のバラを作って、覚えるのにも 楽だし、外国へ日本のバラを紹介したらどうだろう」というようなことを言っておりました。
「そりゃあいい、お前やれよ」

そんなことで、私は新しい品種を作ることになったわけです。これが生涯を決めるきっかけになったことは事実です。 しかし、それがなかなか難しくて、まず育種遺伝学をやらなくてはならない、とか、またただ交雑して新しい品種を作る ばかりではなくて、その中から選ばなければならない。それを選ぶためにもいろんなことを勉強しなくてはならないと言う こともよく分かりました。

しかし、自分から引いたレールをがたがたと走ってきた機関車の様なもので、83歳の今日までバラを追求するというぼろ ぼろの機関車で走り続けてきた人生だったと思います。

2へ続く