バラを召しませ ランララン(3) (平成8年5月のNHKラジオでのお話から)
3.新しい品種を作る
新しい品種を作るということで、ニュージーランドで特別金賞をいただいてから益々
やる気になって、色素のことや いろんな色の変化について、明治学院大学の斎藤先生や
千葉大の横井先生からもよく指導していただいて勉強しました。
色がチェンジングする「色が変わっていく」ということのメカニズムを勉強しました。
たくさんの良い先生に恵まれましたことは非常にありがたいことだと思っております。
栽培の方も礫耕といって、水だけで、砂利の中で育てる方法ですが、これは土ですと
病気が多いので、礫耕にしたのですが、日本でははじめてで、難しかったのですが、
これも後に東北大に行かれた堀先生にも指導していただいて、ようやく軌道に乗る
ようになりました。
考えてみると、先生方のご指導に恵まれ、私にとっては ありがたいことだと思います。
それからアメリカの多くのブリーダー(育種家)と会って、勉強しました。
ことにカリフォルニアのアームストロングナーサリーにいた MR.スリム
が非常に親切にいろいろなことを教えてくれました。そして、「私はたくさんの賞をも
らったけれど、このローマ大賞というローマの出す賞状を見てください。」といって、
大きな賞状を見せてくれました。カラーで一枚、一枚書いたんだそうですけどきれいな
賞状なんですね。賞状と言うのは大体字ばかりですけれども、ローマのは昔からカラフルな、
色のきれいな賞状なのです。「これをもらうと嬉しいんだよ。」ということを言ったので、
私もどうしてもこれを取らなくてはいけないと思って、ローマのコンクールに一生懸命出し
ました。
「朝雲」という 黄色に紅の覆輪のバラや、「彩雲」という黄色に
オレンジ紅がかかるもの(これがチェンジングです。)これらを出したのですが、
銀賞でした。
でも、どうしても金賞をもらわなくちゃいけないということで、1982年に、
「乾杯」というバラをローマに送りました。それまでに2回送りましたが、ローマ
の試作場の土だとか、気候だとか他に過去に賞を取った人のあり方だとかそういったもの
も詳しく調べまして、「乾杯」という赤いバラを出しました。これは暑さに強いつまりローマ
の気候にも強い、しかも深紅で香りがあるということで、かなりの自信をもって出しました。
審査の結果、「赤いので良いのは三つあったが、あなたのバラは、その中で、一番香りが
良いのでゴールドメダルにしたんだ。」とわざわざ電話で言ってくれたのです。
見事ゴールドメダルを貰って、イタリア-のローマではこのような国際コンクールで賞を
取ると大変なことで、新聞は書き立てるし、いろんなお祭り騒ぎをやるそうです。
私は日本にいて、ローマには行かれませんでしたので、授賞式には日本大使館の大使が
呼ばれて、この賞状を貰ったわけです。これは日本の新聞にも載りましたので、私とし
ては面目を保ったということになりました。
このほかにもヨーロッパでは 大分賞を取りましたけれども、アメリカで、
ALL AMERICA ROSE SELECTION(AARS)というアメリカ中の23ヶ所の試作場
(TRIAL GROUND) で、評価されなければならないものです。そこでゴールドメダルを取ら
なければ育種家としての価値がないといわれたので、それまでドイツ、オランダ、などで賞
をもらいましたが最後はどうしてもアメリカということで、AARSを狙ったわけです。そして
向こうの名前では"MIKADO" ですが、日本語名「光彩」というの
を出したら、ゴールドメダル、つまりAARSを受賞したわけです。
これで 大体 目標に達したわけで、「世界に日本からバラを」言う大きな目標でしたが、
支援していただいた大先輩の方々や会社の方々や大学の先生方、研究室の方々にようやく
顔向けができたというところです。
4へ続く
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