故鈴木省三先輩から
1996年8月9日在校生がインタビュー
如月の空は碧さを尽くしけり
朝陽バラ会顧問 鈴木省三
早春の賦とも云える未だ寒い東風が吹く二月の頃、バラは葉が一枚もなく枯枝のように思えるが、 よく見ると極く小さい胡麻粒くらいの鱗芽が茶褐色の幹にしっかりしがみついている。三月の声を聞く やいなやその鱗芽がゆるやかにほぐれて鎧兜をぬぎ赤い小豆粒になって起きてくる。そして三月のお彼岸 の二十日をすぎると一気に萌えて赤い幼芽が爆発するーこれは英語でもBurst Outというらしい。
そしてぐんぐん若枝となる。その時の刺のやさしいこと、蕾をもつその時の十六娘をSweet sixteenと名付けた英人もいた。
花は豪華絢燗であるが、蕾の開き方がヒマワリやガーベラと全く違い、花びらが巻いてしまっているのを ゆるやかにほぐして咲いてくれる。これは例のすくない花の咲き方で、流石100年に及ぶ人工品種改良 のおかげであろう。この美しいバラを見ないで人間は何を美しいというか、と思う。
朝陽バラ会はこの美しいバラの花をみんなに見せようという事で五回卒業生の有志が集まり、 遂に一九八四年(昭和五九年)十二月八日未明、起重機のついた八トン積みのクレーン車に鉄製大型スクリーンを 積み込み八千代市を出発して、明け方新宿高校裏門に着き、当直の先生を待って門をあけてもらい入校、設置にかかった。
次いで第二のスクリーンはその年の秋、再び強行した。土のわるいことひどいものだったが、 近藤宣明会長をはじめ壮齢六十九歳の努力で植え付けを完了した。
未だ残りの社会的事業をやっている人達であったが草むしりに通うは容易でなく、三年経ち、五年経ち八O歳に近付くと 口は達者だがなかなか思うようにならず、二人三人先立ってあの世へ旅立つものも出来てしまった。
困っているとき 船山恵子先生の心からなる御援助でPTAの方々の応援となり、また学生のバラ会入会など、われわれ八十三歳老人 にとっては初期の夢が通り、盛大にバラ展が催されこんなにうれしい事はありません。感謝に堪えません。 六中時代の恩師たちも地下でよろこんで下さっていると思う。
どうかこの夢をいつまでもつづけて下さい。新宿高校は夢と希望の学校です。
◇鈴木省三先輩の略歴◇ 大正2年東京生まれ バラを召しませ ラ ン ラ ラ ン 平成8年5月にNHKのラジオでお話になった内容です。
昭和6年府立6中(現新宿高校)卒(旧5回生)
京成バラ園芸にて長らく研究所長として勤務.バラ栽培著書多数.
国際バラ新品種コンクールにて数々の賞を受賞する.米・英・仏・独バラ協会会員.平成12年1月20日死去(享年86歳)
鈴木先生を直接ご存じない方も先生の人柄やバラの育種、府立六中生の頃の様子などうかがえると思いますのでここに公開します。
話し言葉からおこしていますので、表現が難しかったのですが、一応鈴木先生ご本人にも目を通していただいたものですので、大きな間違いはないと思います。